人を傷つけない笑い

昨年末のM-1グランプリウエストランドが優勝して潮目が多少変わるとは思うけれど、まだまだ根強く、人を傷つけない笑いという幻想が幅を利かせている昨今。

例えば、一般人だと思ってたらその道のバリバリのプロでしたとかいうドッキリ。

まあそりゃあみんな最終的には喜ぶよね。時にはタレントも出てくるわけだから。

ただ、これの一体どこで笑えというのだろう。

特にこの手の企画はプロの腕のひけらかしにしか見えなくてかえって不快なのだが、どこがおもしろいんだろう。

誰か教えてください。

誰のための

電車とか新幹線でよその子供がうるさいのが大好きって人はいないだろう。

だけど、子供はそういうもの、しょうがないと思ってる人は多い。

んでよくやり玉に挙げられるのが、「それについて何もしない親」。

子供は泣くのは仕事だが、親があやそうともしないのはダメ。

こう考えてる人は多いのではなかろうか。

つまり、子供だからしょうがないよねという意見は、「『なんとかしようとしてるんです、すいません』と周りへの気遣いをしているように見える親」とセットでなければ許されない。

変に親が手を出すとさらにひどくなる子かもしれない。放っておくことで収まる癇癪かもしれない。日々の育児に疲れ果てて言葉もかけられない深刻な状況なのかもしれない。そしてその移動はどうしても今、電車でしなければならないものなのかもしれない。

考えすぎ、こちらだって我慢してるんだからそこまで斟酌してやる義理はない。

それもその通り。

その通り、なんだけど。

あやす行為は本来子供を落ち着かせるために行うものだが、周囲への申し訳なさアピールのためにあえてやらなければならないというのは、なんとも息苦しい話だなあと思う。

自分に余裕があるときばかりじゃないし、イライラしてしまうよね。

それでも子供は大事なもんだから、と、努めて頭で考えるようにしている。

電話が嫌い

電話は暴力的なツールだと思っている。

かけるほうは話すことを用意し、時間を作り、準備万端で行える。

一方のかけられるほうは完全に無防備な状態から突然殴られるようなものだ。

突然相手の都合に巻き込まれ、自分がやっていたことを否応なく中断させられる。

そして一方的に用件を伝えられる。特にビジネス電話は答えを要求されることが多く、よーいドンで回答を行わなければならない。わからなければ折り返せばいいという話かもしれないが、内容による。

片方はすべての用意が整っているのに、もう片方は何もわからない状態で突然土俵に上げられる。こんな理不尽があっていいのだろうか。

通り魔に刺されるのと何ら違わない。

特にビジネス上のやり取りはすべてメールにすべき。メールなら相手を縛ることがなく、また、言った言わないの水掛け論も生じえない。いいことずくめだ。

プライベートでもそう。いきなり電話をかけていついつ暇かなど尋ねるのは横暴そのもの。暇になるかどうかはこれからあなたが話す内容によるのだ。

不必要なルールを増やし社会を混乱させることを飯の種としている害虫的存在のマナー講師たちにぜひとも「電話はマナー違反」などと吹聴してもらいたいもんだ。

若くありたいけれど

そこそこの年齢である。

ただ、気持ちは20代中盤くらい。

別に若ぶっているわけではなく、例えば事件のニュースで逮捕された人物が30才とかだと、つい「いい年して何やってんだ」と思ってしまうという感じ。

成長をしていない実感があると表現したほうが的確かもしれない。

それで実際若い人と話してみるとどうかというと、同じように盛り上がって話せている。

これは比較的若くいられているのではないか。

と、感じてしまう。

が、罠なんだよな。

自分よりかなり年下の人たちは、当然ながら自分に対する遠慮がある。友達同士というわけにはいかない。自分に置き換えてみたらわかる。年上に対等にものが言えるはずはなく、おべんちゃらとまではいかないまでも、本心をそのままぶつけることはしない。

同じことが自分にも起きていると考えるべきである。

要するに若い人の優しさということ。それを真に受けて自分はまだいけると思うことが、老害と言われてしまう面倒くさい年寄りへの取り返しのつかない第一歩なのだろう。恐ろしい。

せいぜい、同じ年代の気の置けない連中とつるんでいるときに「まだ若いね」と言って笑っているくらいがちょうどいいってことなんだと思う。

笑いと拍手

芸人が何か言って爆笑を誘った時、拍手が起きるのがわりと我慢ならない。

おもしろすぎてパンパンと手を叩いて笑ってしまう、とは違う。

笑いつつも、冷静にしっかりと称賛の拍手をしているのが、もう気持ち悪くて仕方がない。

ウケるたびに、拍手が起こる。あれいったい何なの。

フリートークならまだしも、漫才など間が大切な芸ではテンポが悪くならないのか心配になってしまう。というかもはや演者も、「ここで大ボケをして拍手をもらう」とか想定してるんじゃないかと思ってしまう。気持ち悪い。

笑ったら、笑って、そのままにしときなよ。

結局

書きたいことといえば文句ばかり出てくる。

何が好きとかあれがしたいとかそういう楽しいことよりも、あれがむかつくこれが嫌いといったネガティブなことばかり、すくってもすくっても出てくる灰汁のようにポコポコと生まれてくる。

まあそれが私なのだと言ってしまえばそれまでだし、正直、誰かのただ好きという感情っておもしろいですかと思わんこともない。

吐き出さないとやっていられない。それには140文字では足りないし、フォローしてくれてる人に呪詛めいた愚痴を延々と垂れ流すのも忍びない。

そういうわけで開設したのだった。

誰にも宣伝していない。

連携しているツイッターも誰もフォローしていない(開設時に最低1アカウントのフォローを強制されるので一番上に出ていた任天堂だけフォローしている)。

「王様の耳はロバの耳」と床屋が叫んだ穴のようなものなのかもしれない。

おじさんたちのウケ狙い

政治家が失言を拾われるのはたいていが支援者や関係者が集まるパーティの席でのあいさつだ。

いっつもいっつも、なんでわざわざ突っつかれるようなことを言うのだろうと不思議で仕方がなかった。

それでわかった。ウケ狙いのつもりなんだよね、あれ。

おもしろいと思って、来場者へのサービスのつもりで、つい口をついちゃうんだろうなあと想像する。それで、会場ではウケるんだよね。だから気分がよくなってまた言っちゃう。

あほやなあと思うけど、じゃあ自分が似たような立場、状況に置かれても言わないのかって言われたら、まったく自信がない。たぶん言う。

だから、いわゆる失言問題ってのは、終わらない。ウケたらうれしいもん。