ツイッターは何がしたいのか
ツイッターは本当に本当にもう余計なことはしないでほしい。
誰がフォローもしていない人や話題の情報を見せてくれと頼んだというのか。何のためのフォローか。
今回の改悪でついにデフォルトで「おすすめ」を強要されるようになってしまった。そのたびにフォロー中をクリックしなおすストレスたるや。
何を考えているのか。アップデートのたびに世界中から「いらんことせんでええねん」と言われているのではないのか。
自分で見たい情報だけを取捨選択してタイムラインを作っているのだから、もう何もいじらずにいてくれればいい。とにもかくにも、おすすめ機能を撤廃してくれ。
爆発的な流行を過ぎて過疎に突き進んでいった頃のmixiを見ているようだ。
必要十分な機能はとっくの昔に出そろっているので、どうかどうか、もう何もしないでください。
アルバムはいつ見るのか
私の幼少期のアルバムの処理に困っている。
かなり年季のいった分厚いアルバムだ。
この先、見返すことはあるだろうか。今回手に取ったのも、ガラクタを整理していたら出てきたからだ。アルバムを見たくて探したわけではない。
かといって、捨てたら、それでおしまいだ。小さかった頃の私の様子がわかる唯一の記録が消滅する。そう思うと、おいそれと処分はできない。
残りの人生であと何回見るかもわからない、もしかしたら一生開かないかもしれないけれど、捨てるには忍びない。しかし場所を取る。頭の痛い問題だ。
データで保存している写真についても、場所を取ることはないけど、とりあえず保存しているだけな感じはする。そしていつの間にか容量がいっぱいになっている。場所は取らないが容量を増やすには結構な出費がかかる。これもまた頭の痛い問題だ。
何かいい案はないものか。
どこまで言っていいものか
かつて、ちょっと考えられないミスが原因で金銭的な被害を受けたことがある。
普段の仕事では一切接点のない人(会社)なのでもう会うことはないと思っていたのだけど、たまたまその人と接触することになった。
当時、相手の会社のかなり偉い人が出張って来るほどの騒動になったけど、全面的に非を認めて補償をしてもらい、解決している。その時は張本人の意味不明かつ虚偽の説明に堪忍袋の緒が切れて思いっきり怒ったけど、話としては正式に決着がついているので今更どうこう言うつもりはない。
が、数年ぶりに接触したその人の態度がどうにも気になってしまい、うちに来るのは別の人に代えてほしいと言ってしまおうかと悩んでいる。
その不祥事の時、やらかした本人は水滴を垂らしたストローの袋みたいにちっちゃくなり、「自分にも子どもがいるが、常日頃嘘やごまかしをしないよう言っており、顔向けができない」と絞りだすように言っていたのを思い出したのだ。
私が「あなたはやっぱりいや」と言っても、言った私はそれっきりすぐに忘れてしまうだろう。担当は変更になり、それまでだ。
だけど言われた本人には大事に思う家族がいる。出禁にされた日はどんな顔して帰るのかなとか想像してしまう。ただでさえ、今回の連絡もしたくはなかったろうに(というかなんでわざわざその人を寄越したのだろうか)、追い打ちをかけるようなことを言うのもなあと自問する。
どうしたもんか。
私は仕事にそこまで情熱を持っているわけではないので、クレームを言われてもそれで奮起することはなく、何日もくよくよとへこみ、やる気がなくなっていくだけだ。それなのに自分がむかついた相手にはさらりと言ってしまうのかという葛藤もある。
ほんとに、どうしたもんだろうか。
年賀状行ったり来たり
年々出す枚数が減っている年賀状。
この人は毎年こちらの返事って感じできてるからもう出さなくてもいいかなと思っていると、次の年は元日に届いたりする。
急いで書いて出し、元日に来たのだからと翌年はこちらも元日に届くように再度出す。
すると、来ない。何日かしてから来る。じゃあもう来年は出さなくていいや。
そして年が明け、元日になり、向こうから年賀状が……。